SpecialVol.23

睡眠と運動の
大切な関係性

聞き手・井上英樹(MONKEY WORKS)
イラスト・相馬涼

睡眠は全ての人にとって大切なもの。睡眠をおろそかにすると、体や心の健康を損なってしまいます。また、運動のパフォーマンスにも、睡眠は大きな影響を与えると多くのアスリートが口を揃えます(また、睡眠不足は肥満の原因の一つであるとも考えられていたり…)。健やかな体にとって、睡眠が大切だと分かっていても「眠れない」「途中で起きてしまう」「昼間に眠くなる」などの悩みをお持ちの方は多いのではないでしょうか。アスリートのメンタルケアに詳しい、すなおクリニックの矢野郁明(ふみあき)先生に、運動と睡眠の関係性について伺いました。

運動は睡眠の質を向上させる

運動をするとよく眠れるのはなぜですか? また、運動不足が睡眠の質に与える影響はあるのでしょうか?

運動は睡眠の質を向上させます。具体的には、睡眠潜時(寝付くまでにかかる時間)の短縮、中途覚醒(一度寝た後起きること)の減少、総睡眠時間の延長といった効果が認められます。運動と睡眠は、複数の生理学的・心理学的プロセスを通じて相互に関連しており、それにはいくつかの理由が考えられています。

睡眠は深部体温(脳や内臓など体内部の温度)と深く関わっていることが知られています。深部体温は日中に上昇し、夜に低下、明け方が最低温度となります。通常、睡眠が開始されるのは、この深部体温が下がっていく時です。夕方の運動によって一度深部体温を上げて、その後深部体温が下がっていくことが、睡眠の質の向上に繋がるという仮説もあります。また、運動には抗不安および抗うつ効果があることが多くの研究で示されており、この作用が睡眠を促進するという報告もあります。

私は睡眠外来で多くの患者さんと接します。病院に来るのは不眠や日中の眠気を感じている方々です。患者さんの診療をしていると、「普段、あまり運動をしない」という方が非常に多いんですね。そのような患者さんには、ベッドタイムをきちんと9時間確保してもらうと同時に、運動習慣の重要性についてお話ししています。すると、「睡眠と運動が関連しているの?」と、驚かれる患者さんが意外と多いんです。もし、睡眠でお困りのことがあれば、まずはジムで運動を行うなど、無理なく実践できる運動習慣を生活に取り入れていただきたいと思います。

「寝る子は育つ」ということわざがあります。そもそも睡眠と体づくりに関係はありますか?

成長ホルモン(GH)は1日を通して分泌されていますが、特に入眠後の徐波睡眠(深い睡眠)で大量に放出され、睡眠不足はこのGH分泌を抑制することに繋がります。したがって「寝る子は育つ」というのは正しいといえるでしょう。大人の健康にも睡眠は大きく関わっています。実は、睡眠時間の短い大人は太りやすくなる傾向があります。睡眠不足(およそ7時間未満)は肥満と関連していることが、これまでに多くの研究によって示されています。もし、太りやすくて困っている人がいれば、ご自身の睡眠を見直すのもいいでしょうね。

これは、睡眠不足が食欲増進ホルモンのグレリンの血中濃度を上昇させ、食欲抑制ホルモンのレプチンを低下させることで、空腹感と食欲が増加するというメカニズムです。その結果、エネルギー摂取量が増加する、インスリンの感受性が低下する、脳の報酬系に関わる回路において睡眠不足後に食物報酬が増加することなどが起こります。子どもの成長、大人の健康的な体づくりのいずれにとっても「よく眠ること」は非常に大切です。

大谷翔平選手や錦織圭選手、髙梨沙羅選手など世界で活躍するエリートアスリートの多くが「睡眠は大切」と口を揃えます。良いパフォーマンスと睡眠の関係を教えてください。

エリートアスリートの睡眠とパフォーマンスを専門とする、シェリー・マー医師が行った非常に重要な研究があります。彼女はスタンフォード大学バスケットボール部のメンバーに対して、毎日10時間以上の睡眠を1カ月半以上とるように指示をし、その前後の運動パフォーマンスについて調査しました。結果、短距離走のタイム、フリースローの成功率、練習や試合に対する意欲のいずれも向上することが示されました。

体のパフォーマンスは、認知機能、心理状態、運動制御などの相互作用によって決まります。睡眠不足はこうしたパフォーマンスに関わる要素に影響を与えるため、運動のパフォーマンスにも大きく影響します。

例えば、エリートアスリートが3日間にわたり睡眠時間を4時間に制限すると、最大垂直跳び高が低下したという研究結果があります。つまり、睡眠不足は体の動きに影響を及ぼします。また、アスリートにおける8時間未満の慢性的な睡眠不足は怪我のリスクを1.7倍に増加させるという研究もあり、パフォーマンスの向上だけでなく、怪我の予防という観点からも重要であるといえるでしょう。

また、睡眠の質を著しく低下させて日中のパフォーマンス低下や眠気を引き起こす閉塞性睡眠時無呼吸症候群(以下OSAS)の有病率は、筋力や体力のあるアスリートにおいて、非アスリート集団よりも高いという報告もあります。これはOSASの患者さんの解剖学的特徴である、大きな体格と頸囲(けいい=のどぼとけまわりの太さ)が関係しています。就寝中のいびきやあえぐような呼吸があったり、日中の眠気が強い場合などは、専門外来の受診を検討してみてくださいね。

トレーニーにとっての理想的な睡眠とはどのようなものでしょうか。良い睡眠をとるための最適な運動時間帯はありますか?

必要な睡眠時間は人それぞれで異なるため、一概に理想的な睡眠時間を示すことはできません。ただ、一般的に成人は最低でも7時間の睡眠時間が推奨されています。一方でエリートアスリートが主観的に休むことができたと感じるためには、約8時間の睡眠が必要であるという報告や、9時間から10時間の休息がパフォーマンス増強に必要だとする研究結果もありますね。

一般的なトレーニーの方々は最低7時間、できれば8時間の夜間の睡眠時間を確保するところから始めてみてはいかがでしょう。それから体のコンディションやパフォーマンスを見ながら、日々の睡眠時間を調整することをおすすめします。また、日中に30分未満の昼寝をすることも気分、覚醒度、認知能力を上げることに対して有効だとされています。アスリートはさらに長い時間昼寝をした方が、パフォーマンスアップに繋がる可能性を示唆する研究報告もあるため、トレーニング上級者の方々は30分よりも長くしてみても良いかもしれません。

加えて、良質な睡眠のためには環境を整えることも重要です。スポーツ精神科医のデビッド・R・マクダフ医師が推奨する良質な睡眠をとるための条件は以下の通りです。

  • 起床と就寝時間の固定。
  • アルコールや刺激物(カフェインは就寝時間の9時間前まで)を避ける。
  • 就寝前のテレビやスマートフォンの使用を避ける。
  • 就寝前20分間のルーティン(ストレッチ、瞑想、日記をつけるなど)を行う。
  • 寝室は消灯して室温を涼しく保つ。
  • 耳栓を使用する。

トレーニングの時間帯に関しては、就寝前の激しい運動は夜間の睡眠を妨害する可能性(概日リズムの変化、過覚醒、自律神経の興奮、夜間の深部体温低下の妨害など)があるため推奨されていません。しかし、就寝の2〜4時間前に行う激しい運動は、健康な若年および中年成人の夜間睡眠を妨げないとの報告もあります。したがって、就寝時刻のおよそ2時間前までにトレーニングを終えるのを、一つの目安にするのが良いのではないでしょうか。

睡眠もトレーニングの一部!?

最近では「睡眠は眠る筋トレ」というトレーニーがいます。この考えは正しいでしょうか?

睡眠が骨格筋の生理学的変化に影響を及ぼすことは以前より知られています。また、睡眠は手続き記憶の統合や免疫反応の増強にも関わります。手続き記憶というのは、体で覚えた「動作や技能の記憶」です。この手続き記憶の統合は、筋トレやスポーツの技術を高めることに役立ちます。免疫機能に関しては、慢性的に睡眠時間が7時間未満のアスリートは呼吸器感染症にかかりやすくなることが知られています。したがって、「睡眠はトレーニングの一部」と考えて良いでしょうね。

最近はスポーツウォッチやスマホアプリで“睡眠の質を測る”ことができるようになりました。先生はこのようなテックの方向性をどうお考えですか?

睡眠外来においては、主に睡眠日誌、加速度センサーによる活動量計、脳波を用いた検査(PSG)を行い生活習慣や睡眠について調べます。睡眠日誌や活動量計を用いることで、日中の活動内容や運動量、就寝や起床時刻、おおよその睡眠時間を計測することができます。これらによって「自分が思っていたよりも運動量が少ないな」「寝るのが遅くなっているな」などに気付いてもらい、それぞれの生活の中で改善できるポイントを考えていきます。また、それまでの経過からより詳細な検査が必要な場合に、脳波を用いた検査(PSG)を受けていただいています。

現時点で正確に睡眠の質について測定することができるデバイスは脳波計だけです。近年は、加速度センサーによる活動量に加えて、光学式心拍センサーによる計測などを組み合わせることによって、スポーツウォッチやスマホアプリを用いて睡眠の質を測定することが試みられています。しかしながら、睡眠ステージを追跡する性能については、ばらつきが大きいようです。現時点ではこれらのウェアラブルデバイスに対しては睡眠の質(深さ)の測定を期待するのではなく、睡眠日誌や活動量計と同様の目的(睡眠と覚醒の記録)で利用するのが最善だと思います。将来的にはこれらのデバイスの精度が上昇したり、より簡便に脳波が測定できるデバイスが開発されることで、自宅で睡眠の質が手軽に測定できる日が来るかもしれません。

これまでは、体づくりのための睡眠についてお伺いしました。逆に、良い睡眠のためにはどのようなトレーニングをすればいいのでしょうか。

習慣的な筋トレは、睡眠の量と質を改善する可能性があると考えられますが、脳波などの客観的な測定方法が用いられた研究は少ないのが現状です。現時点では、「このエクササイズをすれば睡眠の質が必ず上がる」とは言えません。まずはそれぞれのトレーニング歴、興味関心に合わせた種目から少しずつ運動を習慣化することが一番だと思います。一般的な身体活動量としては、

Ex(エクササイズ)= 運動強度(METs)×時間

を計算し、1週間で「23Ex」を一つの目安にするのが良いと思います。METs(メッツ)は家事やジョギング、トレーニングなどの運動量を数値化したものです。厚生労働省の「生活活動のメッツ表」を参考にしてください。こうした身体活動量を視覚化するためにウェアラブルデバイスは非常に有効だと思います。

運動と睡眠は体と心の健康のためにとても重要です。ぜひ運動と十分な睡眠時間をとるように意識して生活してみてください。また、夜間の睡眠や日中の眠気でお困りの際は、専門外来の受診もご検討ください。