今年の3月11日、東日本大震災からちょうど10年を迎える。春を目前に、自宅で過ごす時間の流れと、同じだけ経過していく福島での時の流れを、重ね合わせて実感することができるこの本を紹介する。
日本在住のアメリカ人ジャーナリスト、マヤ・ムーアさんによるフォトエッセイ。かつては全国から年間5万人以上の人々が訪れた福島県双葉郡双葉町の「双葉ばら園」は、2011年3月11日を境にその姿を変えてしまった。著者は震災後、偶然ニュースでこのことを知り衝撃を受け、「『福島には世界に誇れるバラ園があった』ということを知っていただけたら」という思いで、この福島での出来事を美しく切実な写真と言葉で綴った1冊である。バラ園の主、岡田勝秀さんへの取材を元にしたエッセイと、「横浜ばら写真の会」の皆さんによる震災前の美しいバラ園の写真をメインに構成されている。
前半は、移りゆく季節の変化や積み重ねてきた月日を感じながら、「双葉ばら園」の開園から3.11までが、当時の瑞々しいバラの写真とともに綴られている。1960年代、岡田さんがバラの魅力に取り憑かれて以来、たくさんの時間と労力と愛情をかけて育ててきたバラが咲き誇る庭園。写真はどれも美しいのだが、どこか切ないものもあれば、凛とした力強さを放つものもある。一言でバラといってもさまざまな色、形の種類があり、花弁にも表情があるように見えてくる。
バラ園の運営は、長い歳月をかけて作り上げていく必要がある。岡田さん曰く、庭師はバラや樹木が成長する10年後の光景を思い浮かべながら庭園を作り、手入れをしていくのだそうだ。10年前のあの日まで、岡田さんは2021年のバラ園をどんなふうに思い描いていたのだろう……。
バラ園のある場所は福島第一原子力発電所から8kmに位置していたため、震災以降、帰宅困難区域となった。(2011年当時、発電所から20km圏内が警戒区域。避難指示は徐々に解除されたが、双葉町、浪江町、大熊町の一部を除いた区域などが未だ帰宅困難区域に指定されている。※2021年3月2日現在。ふくしま復興ステーション 復興情報ポータルサイトより)岡田さんが大きな愛情を注いでいた庭園は、置き去りにされ荒れ野と化してしまった。第8章「沈黙の叫び」で語られる、岡田さんが地震発生後の6月に初めて一時帰宅で園を訪れた時の様子には、胸を締め付けられる。
「双葉ばら園」を再開させるには、10年経った今でもまだまだ大きすぎる壁がある。原発事故によって引き裂かれた人々とその土地の間には、さまざまな複雑な思いもある。
しかし、本の最後に語られる、岡田さんの「再びバラを育てたい」という思いが希望の光となっていた。震災後に残された土地と置き去りにされてしまった悲しい思いを、眠らせることなく、この先の未来へどうつなげていくか。悩み苦しんだ人たちの見出した光に、心が震えるような感覚だった。
福島に存在していた、美しいこのバラ園とそれに纏わる人々の尽力が、この本の中には確かに残っている。当時のバラ園が、形を変えても、時間を経てもなお愛され続ける存在価値があるのだと実感させられた。