PeopleVol.7

1300年の伝統を未来へとつなげる染色家

People Vol.7 古代天然染色工房 金井工芸 金井 志人さん

鹿児島と沖縄の間に位置し、手つかずの大自然が残る離島、奄美大島。島が誇る伝統工芸である大島紬は1300年以上の歴史を持ち、その染色技法である「泥染め」は奄美大島だけで行われている天然の染色方法です。染色を生業とする家に生まれ、その伝統を受け継ぎながら、新しい挑戦も続ける染色家、金井志人さんにお話をうかがいました。

People

金井 志人(カナイ ユキヒト)
染色家。1979年奄美大島生まれ。奄美大島紬の泥染めを担う金井工芸の後継者。泥染めをはじめとする伝統的な天然染色に携わりながら、ファッションブランドとのコラボレーションや、布以外の素材の染色など、新しいジャンルの開拓も積極的に展開している。伝統的な技法を新しい目線で取り入れる姿勢が、多くのアーティストからも支持されている。

染めと音楽は似ている

アマミブルーと呼ばれる美しい海と、照葉樹の原生林が残る、豊かな多様性と希少性に満ちた奄美大島。大島紬の起源は定かではないそうですが、古くから織物が作られ、奄美に自生するテーチ木(車輪梅)やその他の草木による染色が行われていたようです。奈良東大寺や正倉院の献物帳にも記録が残されているほど古い起源がある本場奄美大島紬は分担業で製織され、糸、絣染めを行う工程を担うのが金井工芸です。

●金井さんは伝統的な大島紬の染色以外にも、ユニクロなどのファッションブランドとのコラボレーションや作家活動もされていますね。伝統工芸以外の仕事も始められたきっかけを教えてください。

わたしは進学で上京してしばらく東京にいたのですが、奄美に戻った時には大島紬の産業自体が衰退していく最中でした。染めの仕事も減ってきているタイミングで戻ったので、もし染色の仕事をやるのだったら自分で仕事をつくらなきゃいけない、というのがあって大島紬以外の仕事も始めました。

●家業を継ぐために帰郷されたのではなかったのですか?

戻った時は染色をやる気は毛頭なくて、それでも、自分を育ててくれたものがなくなるというのはちょっと寂しいので、少しかじれたらな、くらいの気持ちでやってみたら、「染め面白いじゃん」と。わたしが当時専攻していたのは音楽や音響だったので、染色とは全く接点がないだろうと思っていたのですが、やってみたら自分の中で共通点を発見しました。

●音楽と染色の共通点とはどんな部分ですか?

奄美大島出身の元ちとせさんは、もともと島唄をやっていたのですが、それをポップスに昇華させました。伝統的な音楽である奄美島唄をポップスに昇華できるのだから、大島紬でもできるのではないかと思ったのです。

音を作るのと色を作るのは似ていると思います。奄美にしか存在しない「島の音」があるように、「奄美にしかない色」、「ここでしか存在し得ない色」があります。音を集めて奏でたり、色を重ねて織物にしたりと、音も色も、集めて重ねていくことで、それが音楽という形になったり、布という形になったりします。

作業的にも、泥染めは天然染色なので、絵具を買って色を作るのではなく、山に入って材料となる草木を採取する、つまり色を採取してくる感覚です。音楽だとフィールドレコーディングは、音を「録りに行く」というじゃないですか。わたしの中では、もともとやっていた音楽との共通点を発見したところから染色が始まっています。

●なるほど、色と音が持つ重なりの共通性というのは、とても面白いですね。

色作りは重なりで表現するのですが、今までは大島紬のための色作りなので、最終的に黒を作ります。その考えを置くと色で結構いろいろできるかも、ということを、染色をやり始めた頃から考えていました。そんな時に、異業種であるアパレル業界からお声がかかりました。

大島紬は分担業で製造される産業なので、それぞれやることが決まっていて、アパレルメーカーとの打合せややりとりができる人、やる人がいなかったのです。でも、産業自体が衰退しているのだから、異業種とも一緒にやるしかない。今思えば転換期に東京から戻ってきたばかりということもあったので、それだったら自分ができるかもしれない、と思ってやり始めました。

奄美も本州も、どちらも島

音楽をやりたくて上京した金井さんが、奄美に戻って染色をやってみたら、好きな音楽との共通点を見つけた、というエピソードからは、モノづくりの根底には共通するものが存在することを感じます。上京後、地元に戻った金井さんの目に、生まれ故郷はどのように映ったのでしょうか。

●東京にいらっしゃった時、奄美はどう見えましたか?

奄美は小さな島だな、と思いました。東京は大きいし、動き方というか、サイクルスピードが島と全然違う。リズムが、時間の流れが違います。でも島のことを客観的に見ることができたのは面白かったです。奄美は自分が考えていたよりずっと個性がある島だと気づきました。島では当たり前だったことが、外から見ると特殊なんだ、ということを、戻って染色を始めた時により強く感じました。泥染めは、奄美の人にとっては染めのルーツとしてあるのですが、他の地域の人からするとすごく特殊なんだろうと思います。だから、戻ってからさらに奄美が面白く思えました。

●一度島の外に出たからこそ、地元の面白さに気がついたのですね。

奄美も本州も、どっちも島だなと思いました。奄美では、高校卒業と同時に島を離れる人が多いのですが、島にいるとどうしても外に目が向いてしまって、地元にあるものが見えていない。でも、東京に行ったらさらに外、海外を見るようになる。島国の習性なんでしょうか。奄美に戻ってくると、島が日本の縮図のように見えてきました。

●逆に今、奄美から東京を見るとどのようなことを感じますか?

手がかりをつかむために東京に出ていったのですが、戻ってからはそれぞれの役割が見えてきたように感じます。染めたものを東京などの都市部に出すことが多いので、商品の流通における自分たちの役割と都市の役割も考えます。展示なども、やはり多くの人に見てもらうためには都市部での展開の重要性を感じます。

●奄美に戻られてよかったと思いますか?

はい。やはり何かしら島に関わることをしたいと思うのが島の人なので、それがたまたま、ちょっと遠回りして、実家にあったことに気が付いた。それはすごくありがたく思っています。

奄美の自然に、染めさせてもらっている

大島紬の色は複雑な模様がはっきり見える黒が特徴です。今は化学染料で簡単に黒色が染められますが、草木染しか方法がなかった時代は黒い色を出すのはとても難しかったのだそうです。奄美には、貴重な黒が作れる泥と、植物があったからこそ、大島紬が長く受け継がれてきたのでしょう。大島紬の黒は、奄美大島の色なのだとも言えます。

●奄美大島の泥染めについて教えてください。奄美の泥にはどのような特徴があるのでしょうか?

泥染めで一番重要なのは鉄分です。どんな土壌にも鉄分はありますが、奄美では水に溶け出している鉄分が豊富なのです。染めに使うのは鉄分が水に溶け出した沼地、泥田です。奄美大島はユーラシア大陸から分離された150万年くらい前の古い地層が残っているのですが、そこに雨が大量に降って沼地となり泥田の鉄分としてにじみ出ているそうです。粘土質で粒子が細かいので絹糸を傷つけにくいというのもあります。

奄美の泥染めは、車輪梅(シャリンバイ)という植物に含まれるタンニン酸と泥に含まれる鉄分で染色するものの総称です。泥染めに欠かせない車輪梅は東北以南に分布している植物ですが、高温多湿な奄美では山にたくさん自生しています。島の浜にたくさん落ちているサンゴにも実は大島紬との接点があります。染色の過程で石灰(アルカリ)を使うのですが、昔はサンゴを焼いて砕いて、石灰の代わりにしていました。大島紬の色は奄美にあるものだけで作られているのです。染色は自然と一番接点が多い部分なので、島の自然と伝統技術の関係はいつも気になります。

●古い地層と自生している植物と、海岸に落ちているサンゴの死骸によって、この色ができていると思うと、すごく楽しくなりますよね。

だから、「染めをさせてもらっている」という感覚のほうが強いですね。材料がそろっている場所なので。草木染めが好きな方もたくさん来てくださるのですが、この環境にすごく惹かれるようです。わたしの仕事は、奄美の自然があるからこそできることだと思うので、その感覚を忘れてはいけないと思っています。

自然を壊さないで、持続可能なやり方を1300年間当たり前にやってきたのが泥染めです。人間本位になっていくと産業も社会も動きが変わってきますが、先人たちが守ってきた技術と自然との関係を継承しながら、今の時代にできることをやっていく。伝統と新しいことの、どちらもできることの面白さを大切にしたいです。

●泥田は今もたくさん残っているのでしょうか?

泥田自体は今でも山の中に点在するのですが、染屋自体が少なくなってきています。かつては100軒ほどあった染屋は、今は5軒程度になってしまいました。上の山が水源地なので、あまり深く掘らなくても地下水が取れ、泥田も近くにあるので、ここ龍郷町が泥染めの発祥地と言われています。

●龍郷で織られる龍郷柄は台湾先住民の人が使う模様にちょっと似ているように感じますが、交流はあったのでしょうか?

あったと思います。黒潮を使った交易が盛んだったのではないでしょうか。奄美大島は東南アジアの文化圏だと思っています。いろいろ調べていくと、染めと織りは国で分かれるのではなく、気候帯で分かれるのではないかと考えられます。気候帯によって植生が違いますから、染色で使える色目が変わってきます。横の帯で見ていくと、織り方や染め方の手法が似ているのです。例えば、絣は東南アジアの文化で、カンボジアあたりから伝わってきたもので、本来近畿以北は少ないはず。東南アジア的文化の最北が奄美大島ではないかと思います。着物は日本の文化ですが、染色はアジアの文化でもあって、日本の文化でもあります。奄美は日本とアジアのちょうど中間にある感じですね。

戻る場所があるから挑戦できる

古代からの海洋ネットワークによって伝わった技術や文化と、奄美の自然環境、地理的な条件が出会うことで、大島紬という美しい工芸品が誕生したのだということが分かりました。奄美でしか起こりえなかった奇跡と言ってもいいかもしれません。1300年受け継がれてきた伝統文化と技術は、これからどのように展開していくのでしょうか。

●これからの奄美の染色はどうなっていくのでしょうか。

古代から続く大島紬の伝統技術は、変わらないところが魅力だと思っています。今でもそれができる自然環境があることがすごいことだし、面白い。それをどう伝えるか、関わる人たちがどう解釈するかが重要だと思っています。昔は、時間をかけて絹織物を作るという技法が産業として成立していましたが、今はさまざまな素材もあるし、生活スタイルも違う。その中で何ができるか、どんな役割があるのかを考え、可能性を広げていく作業が面白いです。

いろいろな可能性を増やしていった結果、ルーツの大島紬に戻っていく、そういうやり方で伝統工芸へ継承することもできると考えています。大島紬は分担業なので、わたしたちだけでなんとかしよう、というのはなかなか難しいのですが、大島紬への入り口を増やすことができるのは染めの役割だとも思います。一般の方にも、染色体験などを通して文化との接点をつくりながら、自分たちの表現も楽しみつつやっていけたらいいな、と思います。

●接点を増やしていくということですか。

いままで接点がなかった人とどうやって接点をつくろうかということはいつも考えています。異業種と一緒に仕事をするというのも一つの方法です。伝統工芸は現代としっかり接点をつくる必要があると思いますが、染めは接点をつくれる職業だと思っています。うちは代々染屋だったわけではなく、父が創業したので、いろいろ新しいこともやらせてもらえているということもありますし、今、奄美で染色ができることに感謝しています。

●大島紬のしっかりした伝統があるから、いろいろな遊びができるのですね。

そうなんです。伝統を継承した上で、いろいろ挑戦していきたい。奄美の文化には強度があると思います。大島紬はなくならないと思います。ここに戻れるから遠くにもいける。戻る場所があるので、果敢に新しいことに挑戦していきたいんです。

今、モノよりコトが求められるようになってきていますから、産地として何がやれるだろうと考えています。着物というモノだけでなく、それができるまでのコトをどう伝えていけたら面白いかなと。コトがないとモノはつくれませんから。

●最後に、奄美大島は好きですか?

もちろん、好きです。島の人はみんな愛島心があると思います。

1300年の歴史の延長線上にわたしもいて、同じように、次をつくっていくのも役目としてあると考えています。父や職人さんたちから受け継いだ知識と技術を、自分も同じように誰かに受け継いでいけたらいいなと思っています。

着物としての大島紬の産業は一時期に比べると衰退しているのかもしれませんが、金井さんのような若いクリエーターが地元の伝統を受け継ぎ、さらに新しい可能性を切り拓いていく限り、泥染めの技術と伝統文化は、確実に次の世代に受け継がれていくのではないでしょうか。金井さんは奄美のヘルシアプレイスを守りながら、未来に向けてアップデートしていくヘルシアピープルです。

取材協力:金井工芸



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