PeopleVol.13

一般社団法人SAMI北欧環境研究所 理事
登山ガイド
守岡伸彦さん

居場所をいくつも持つことは
多様な視点と評価を得ること

文・山本敦子 写真・小笠原彩
新型コロナウイルス感染症によって社会や生活は大きく変化しました。働き方や、生き方そのものが変わったという人もいるかもしれません。守岡伸彦さんは、経営コンサルタントとして活躍する傍ら、登山ガイドの資格を取得し、登山ツアーや企業向けの登山研修を企画・運営しています。また北欧の人々の自然との関係に共鳴し、ライフスタイルを紹介する取り組みもしています。現在は東京と長野に拠点を持ち、軽やかに2拠点生活を実践しながら、社会課題の解決にも積極的に取り組んでいる守岡さんに、多拠点生活の魅力と、未来を生きるヒントをうかがいました。

Profile

守岡 伸彦(モリオカ ノブヒコ)

経営コンサルタントの経歴を持つガイドとして、八ヶ岳山麓を拠点に、ファミリー向け自然体験活動、登山を取り入れた企業研修を展開中。スウェーデンの北極圏をハイクして以来、北欧流キャンプの紹介や、先住民族サーミの人々との交流を通じた日本と北欧の関係づくりにも力を入れている。MBA (経営学修士)、公認会計士。公益社団法人日本山岳ガイド協会認定登山ガイド。かながわ山岳ガイド協会所属。野菜ソムリエ。

1. 多拠点生活の魅力、
八ヶ岳の魅力

守岡さんは東京でお仕事をしながら、週の半分を東京で、残りの半分を八ヶ岳で過ごすという2拠点生活を実践しています。なぜ多拠点生活を選択されたのか、どうして八ヶ岳だったのでしょうか。

東京と八ヶ岳、二つの拠点を行き来されるようになったきっかけを教えてください。

2011年の東日本大震災がきっかけです。当時、東京も余震が続きましたが、関東直下型地震の不安もあり、いざという時に避難できる場所があった方がいいだろう、と考えました。八ヶ岳は若い頃からサイクリングでよく訪れていて、土地勘もあり、とても好きな場所だったのですが、八ヶ岳の家の前に広がる景色が素晴らしくて、この景色を見て即決しました。

八ヶ岳の魅力はどんなところですか?

八ヶ岳の特徴は、広大な裾野と空が広がる爽快感、そこに南北40kmの連峰が浮かぶ、開放的な雰囲気が一番の魅力です。大きな山々が迫る北アルプスとは空気感が違うので、松本方面から中央高速道でこの地に帰ってくると、諏訪湖越しに八ヶ岳と広い空を見渡した時に、「あー、帰ってきたなー」と思います。

私がいるのは、八ヶ岳連峰の西南麓ですが、山麓でも標高が1000m以上あり、白樺や落葉松が広がる山野は、北欧のような清涼感を感じます。水田や畑、林が広がる裾野は、古くから人々の生活を支えてきました。人の生活がありながらも、手が入りすぎない、ほったらかし感のある自然が、私にとって心地よい場です。

多拠点生活の魅力は何でしょうか?

私の場合、自然を楽しむというより、自然の中にいないと生きた心地がしない、という方が合っているように思います。新型コロナ感染症が拡大してからは在宅勤務が増えたので、八ヶ岳にいられる時間も長くなりました。

週の半分は東京で仕事をしていますが、いろいろな課題があって、出口が見えないこともあり、「この気持ちでは、のんびり八ヶ岳になんて行っていられない」と思う時でも、ここに来るとスパッと思考が切り替わって、なんて細かいことにこだわっていたんだろう、と思います。移動中はパソコンを開いて、あれこれ考えていることも多いですが、駅を出て、家まで30~40分ほど歩く間に、だんだんと八ヶ岳が大きくなるにつれてスイッチが切り替わるようです。

一方で、二つ拠点があることによる
悩みなどはありますか?

家族にも仕事や学業という生活がありますし、家計の柱となる仕事は東京であることも事実です。自然と共にある喜びと、家族の生活や柱となる仕事のバランスを、どのようにとるか。そこが、多拠点生活の難しいところであり、私を含めて、皆さん試行錯誤されているところではないかと思います。

また正直、2拠点を行き来するということは、交通費も時間もかかります。家の維持費もダブルでかかりますから、贅沢には違いありませんし、その分、旅行など、他の楽しみを捨てているのも事実です。家族の理解を得ること、その理解に感謝することも大切だと思っています。

先ほど収穫に同行させていただきましたが、畑もやっていらっしゃいますね。

3年前、農業法人の立ち上げに加えていただいたことで、農への意識が変わり、今は自分で畑をやっています。常に変化する生き物(植物)相手ですから、できるだけここに来て、畑のメンテナンスをしないといけません。放っておくとあっという間に草に埋もれ、また収穫が遅れるとせっかく大切に育てた野菜の株を傷めてしまいます。ある意味、畑を通じて強制的にこの地に来ることは、自分にとって良い口実であり、還暦を迎えても元気でいる秘訣なのかもしれません。

この春から、野菜ソムリエとしても活動を始めました。自分の畑で大事に育てた野菜を通じて、採れたての美味しさや自然の豊かな生命力を伝えてゆきたいです。

2. 環境を考えてもらうために
登山ガイドに

守岡さんは登山ガイドという顔も持っています。個人的に八ヶ岳の自然を楽しむだけでなく、登山ガイドとして人々を山へと案内する理由は何なのでしょうか。

登山ガイドになった理由を教えてください。

今から15年ほど前、知り合いの若手山岳ガイドに引率されて、バリエーションルートといわれる一般登山道よりも難易度の高いクライミングルートで高山に登りました。その時、山がボロボロに崩れていることを知りました。常に風雪雨や、強烈な紫外線にさらされる高山は、気象変動の影響をモロに受けているんです。高山を活動の場とする山岳ガイドたちは、気象変動について、誰よりも早く気が付いていたんですね。

そこで、私もこの気象変動の実情を、より多くの人にリアルに見てもらうべきだ、と考えました。では、誰に見せるべきか。日本において、影響力があるのは企業であり、その経済活動が自然環境に与える影響は甚大です。経営コンサルタントの経験を活かし、企業の人たちに、自然環境保全と企業のあり方を考えてもらう場として、登山を活かしたい。そう考えて、ガイドライセンスを取り、企業登山研修の普及に努めてきました。

しかし、この10年、だんだんと気温が上昇し、私が住んでいる八ヶ岳の麓でも以前はいなかった蚊がいますし、近隣の放置林には猿がすみつき畑を荒らすようになりました。かつては鹿の獣害が大きな問題でしたが、里山の課題の中身も変わってきたように思えます。

持続可能な社会のために私たちができることはあるでしょうか。

持続可能な循環型社会の実現のためには、化石資源を原料や燃料とする大量生産、大量消費を前提にできません。今こそ日本古来の“もったいない”文化を、現代的に“快適に、心地よく、おしゃれ”に実現していく、私たち一人ひとりの気持ちの変化が求められると思います。

例えば、とても安い商品があった時、「なぜ、こんなに安いのだろう」と、一瞬手を止めてみると、世界のどこかで、辛い労働を強いられる人たちの姿を思い出すでしょう。ちょっと高くても共感できる商品を買うことが、巡り巡って地球の未来を分かち合うことになるのかもしれません。

企業は利益を出すことを使命づけられた組織ですから、どんなに循環型社会に貢献しようとしても、利益がでないと続けられません。企業が持続可能な社会の動きと同期していくためには、ものやサービスの買い手である私たちが、当たり前だと思っていた日々の生活に、シンプルな疑問を持つこと。その疑問についていろいろな人たちと意見を言い合えること、もちろん、企業にも意見を言えるような関係をつくっていくことが大切だと思います。私たち一人ひとりが小さな変化に気付いて、素朴な疑問を大切にして、じっくりと話し合うことから始まるのではないでしょうか。

3. 北欧の魅力は
“人と自然との関わり方”

守岡さんは登山だけでなく、北欧型のハイキングの楽しみを、北欧のような空気感を持つ八ヶ岳山麓で行おうと、2016年からインバウンド向けのファムトリップも実施しています。北欧に魅せられた理由とその魅力についてうかがいました。

北欧に惹かれたきっかけは何ですか?

2013年、スウェーデンに関する文献で、こんな記述を見つけました。

「スウェーデンでは、どこでテントを張っても、どこで焚き火をしても、どこでベリーやマッシュルームを摘んでも良い」

日本では考えられないことで、とても驚きました。
スウェーデンの自然公園の入り口に立つ看板にはこんな言葉が書かれています。

Do not disturb, do not destroy.
This is the basic principle of the Swedish right of public access.

迷惑をかけず、自然を破壊しないなら、自由に使って良い、これがスウェーデンの自然享受権の原則です。

「The right of public access」日本語では、自然享受権と訳されます。スウェーデン語でも、「Allemansrätten(全ての人の権利)」と訳されます。

本当に、こんな二つの原則で環境保全と自然の楽しみが成り立つのか!?自然を享受するって何だろう?実際に行って確かめるしかない!と、スウェーデンの北極圏110kmのロングトレイルKungsleden(王様の散歩道)を歩くハイキングイベントに参加しました。調査とトレーニングに丸2年かけて準備し、アクシデントもありましたが、そのおかげでいろいろな方との出会いもあり、とても素晴らしい体験になりました。

北欧の魅力を教えてください。

雑誌やテレビで見る北欧はおしゃれなデザイン、シンプルなライフスタイルというイメージがあるかもしれませんが、その背景にあるのは “人と自然との関わり方”です。彼らは一人で自然の中に出かけていく。基本は合理的で個人主義な国民性の北欧の人々が、共通して大切にしているのが自然で、「母なる大地」と呼んでいます。

北欧(Nordic)といっても、実は背景が多様で、そのライフスタイルを一言で表現するのは難しいのですが、必ず言えることは、自然と共にあり、それを自分達のアイデンティティーと考えているところだと思います。私が最も北欧に惹かれる理由は、北欧の人たちの自然との関わり方にあります。

ふらりと森に入ったり、家族でキノコ採りをしたりというアウトドアの時はもちろん、家の中にいる時でも、さまざまな工夫で自然が身近に感じられます。北欧の人たちと全く同じにはいきませんが、自然と共にあるハイキングや小さなキャンプというアクティビティを、私たち日本人も健康な生活のひとつとして取り入れてみるといいのではないかと思っています。

その土地ならではの文化や経験を、アクティビティを通じて体験していくという長期滞在型のツアー「アドベンチャーツーリズム」は世界の旅のトレンドです。北欧のような空気感を持つ八ヶ岳山麓は、北欧型のハイキングの楽しみを通して、八ヶ岳の自然や人の暮らしを体験してもらうには最適な場所だと思います。アフターコロナのインバウンドに向けて私の経験が役に立てば、と考えています。

八ヶ岳を単に多拠点のひとつとするのではなく、地域の活性化にも関わられているのですね。最後に、多拠点生活を検討している人に何かアドバイスがあればお願いします。

私もいろいろなきっかけがあって、今の生活を選択しました。大切なのは、人生のターニングポイントに気付くことだと思います。そして、複数の居場所を持つということは、別の評価軸を持つことでもありますし、リスクの回避にもなります。ひとつの拠点、ひとつの仕事、ひとつの社会だけだと、そこでうまくいかなくなった時に逃げ場がなくなる。評価は相対的なものなので、居場所が変われば、評価も変わります。

拠点を持つまでいかなくても、ぜひ、呼吸をするように森に入ってみてください。何か気付くことがあるかもしれません。それが、スタートです。

今回は守岡さんの拠点である八ヶ岳のキャンプ場で、自家製の新鮮な野菜を使った料理を振る舞ってもらいながらの取材でした。北欧風のワッフルサンドをいただき、焚火で沸かしたコーヒーを飲みながら、風の音、水の音、鳥の声を聞きながら過ごすと、たった数時間ですっかりリフレッシュし、心と体がほぐれていくのを感じました。守岡さんの活動は、単なる多拠点生活ということではくくれない、地域の活性化と持続可能な社会のための実践のようにも思えます。自分のためのヘルシアプレイスを守ることが、八ヶ岳の未来を創造することにつながり、地域全体をヘルシアプレイスへと導くことにつながっているようです。誰もができることではないとは思いますが、自然の中に入っていくことが気付きにつながり、何かのきっかけになるかもしれません。